ハンドレページ・ヴィクターは1950年代、イギリス航空省B35/46爆撃機要求に基づきハンドレページ社で開発され、同時期のビッカース・ヴァリアント、アブロ・バルカンと共に3V爆撃機と呼ばれていました。中でも最後に実用化されたヴィクターは主翼に独特の「三日月翼」、エンジンを主翼付け根に配置、T字尾翼など、オーソドックスなスタイルで登場したバリアントとは対照的で独特の形態は今でも多くの航空ファンを魅了しています。爆撃機としては寿命は短かったものの空中給油機として長きに渡り運用され、3Vボマーの中では最後となる1993年に退役しています。
■ヴィクタープロトタイプ『HP.80』
■冷戦開始によって考案された高空高速爆撃機要求
第二次世界大戦後ジェット機の急速な発展と核兵器の登場によって従来の爆撃機による空襲という戦術は時代遅れになり、核兵器を目標に迅速に運び投下する高空高速爆撃機が主流になると考えらるようになります。当時のイギリスの主力ジェット爆撃はイングリッシュ・エレクトリック キャンベラのみで航続距離、搭載量共に不足していることが分かり先進ジェット爆撃機開発が急務となります。開発要求はイギリスの主要な航空機メーカーへ行なわれ、斬新な設計のハンドレページ社の案と大型デルタ翼のアブロ社の案が採用されます。この時両者の設計はどちらも新開発で未知数の技術が多く開発が長期化する可能性があると、ビッカース社が強く主張し保守的ですが最も早く戦力化できる「バリアント」も保険の意味合いもあり採用されることになります。
■斬新で独自の発想が故に難航した開発
ハンドレページ社は本機を開発するにあたり、社内のグスタフ・ラックマン技師によって開発された三日月翼とT字尾翼の特性を調査する為、1/4サイズの試験機を制作して特性の調査を進めることになります。機体は余剰となったスーパーマリンアタッカーに三日月翼を付けHP.88として1機が製作されましたが、初飛行から2ヶ月で墜落し、肝心のデータは僅かしか得られず不安の残る状態で開発作業は進みます。試作機は1952年12月24日ボスコムタウン基地で初飛行に成功しますが、1954年7月14日に試作機が墜落し乗員全員が亡くなる事故を起こしています。その後も機体トラブルにより試験飛行が順調に進まず、最初の生産型であるB.1は1958年4月にようやく第10飛行隊に配備が開始されます。
■イギリス爆撃機運用構想見直しにより大幅仕様変更
1960年代には高高度の航空機を迎撃する有力な対空ミサイルの出現により爆撃機による核抑止という運用構想が大幅に見直されることになります。これにより高空侵入から低空侵攻へと運用方式が変更されたことに伴い発展型のB.2が開発されエンジンの換装、インテイクの拡大、翼端の延長ラムエアタービンの装備、空中給油プローブが追加など多岐にわたる変更がされています。初期に製造されたB.1は空中給油母機に改造され、34機のB.2のうち、最後に製造された9機は戦略偵察機「ビクターSR.2」に途中変更されています。SR.2は武装の一切を排除し爆弾倉を偵察機材にあて、余剰スペースには燃料タンクを増設し航続距離が延長されています。爆撃機型のB.2は1968年末に前機が退役。偵察型のSR.2はRAFワイトン第543飛行隊で1974年に部隊が解散し機体も全機退役しています。最後まで残っていた給油機として改造されたK.2も1993年11月に全機が退役し歴史に幕を下ろしています。ヴィクターに限らず3Vボマーは全て空中給油機として改造され機体の一生を終えています。
■ヴィクター K.2(空中給油機型)
■冷戦開始によって考案された高空高速爆撃機要求
第二次世界大戦後ジェット機の急速な発展と核兵器の登場によって従来の爆撃機による空襲という戦術は時代遅れになり、核兵器を目標に迅速に運び投下する高空高速爆撃機が主流になると考えらるようになります。当時のイギリスの主力ジェット爆撃はイングリッシュ・エレクトリック キャンベラのみで航続距離、搭載量共に不足していることが分かり先進ジェット爆撃機開発が急務となります。開発要求はイギリスの主要な航空機メーカーへ行なわれ、斬新な設計のハンドレページ社の案と大型デルタ翼のアブロ社の案が採用されます。この時両者の設計はどちらも新開発で未知数の技術が多く開発が長期化する可能性があると、ビッカース社が強く主張し保守的ですが最も早く戦力化できる「バリアント」も保険の意味合いもあり採用されることになります。
■斬新で独自の発想が故に難航した開発
ハンドレページ社は本機を開発するにあたり、社内のグスタフ・ラックマン技師によって開発された三日月翼とT字尾翼の特性を調査する為、1/4サイズの試験機を制作して特性の調査を進めることになります。機体は余剰となったスーパーマリンアタッカーに三日月翼を付けHP.88として1機が製作されましたが、初飛行から2ヶ月で墜落し、肝心のデータは僅かしか得られず不安の残る状態で開発作業は進みます。試作機は1952年12月24日ボスコムタウン基地で初飛行に成功しますが、1954年7月14日に試作機が墜落し乗員全員が亡くなる事故を起こしています。その後も機体トラブルにより試験飛行が順調に進まず、最初の生産型であるB.1は1958年4月にようやく第10飛行隊に配備が開始されます。
■イギリス爆撃機運用構想見直しにより大幅仕様変更
1960年代には高高度の航空機を迎撃する有力な対空ミサイルの出現により爆撃機による核抑止という運用構想が大幅に見直されることになります。これにより高空侵入から低空侵攻へと運用方式が変更されたことに伴い発展型のB.2が開発されエンジンの換装、インテイクの拡大、翼端の延長ラムエアタービンの装備、空中給油プローブが追加など多岐にわたる変更がされています。初期に製造されたB.1は空中給油母機に改造され、34機のB.2のうち、最後に製造された9機は戦略偵察機「ビクターSR.2」に途中変更されています。SR.2は武装の一切を排除し爆弾倉を偵察機材にあて、余剰スペースには燃料タンクを増設し航続距離が延長されています。爆撃機型のB.2は1968年末に前機が退役。偵察型のSR.2はRAFワイトン第543飛行隊で1974年に部隊が解散し機体も全機退役しています。最後まで残っていた給油機として改造されたK.2も1993年11月に全機が退役し歴史に幕を下ろしています。ヴィクターに限らず3Vボマーは全て空中給油機として改造され機体の一生を終えています。
■ヴィクター K.2(空中給油機型)
原型初飛行 | 1954年12月24日 |
全長 | 35.05m |
全幅 | 36.58m |
全高 | 8.57m |
乗員 | 5名 |
エンジン | アームストロング・シドレー サファイアA.S.Sa7×4 |
最大速度 | 1,050km/h |
航続距離 | 約3,700km |
生産数 | 86機 |
現存欧州大戦機アーカイブ (エイムック 2345) 藤森 篤 by G-Tools |